…などと供述しており

タナカのようなもの

【よみもの】渇望と雄ねずみ

 渇望、と彼女は言った。冬のことだった。部屋へ迷い込んだ雄ねずみと語り合ううち初めてあの感情にこの単語を充てたとき、彼女はわれながら言い射たものだと思った。べつに試行錯誤の末のことではなくて、たんに彼女がそれまでこの感情について、くちに出して、ならびに他人に説明をすることがなく、あるいはじぶんのためにでも文章にしたことがなかったからだった。彼女は死にたかった。ずっと前から、たしか物心のついたころから。それを「渇望していた」らしかった。
 そのことばをくちに出してから…というより、雄ねずみと暮らしはじめてから、彼女は自分のもっとも内側にあるこの感情について、「言語化」を幾度も試みることになった。それは日課の入浴の最中だったり、くらい部屋で薄く音楽を流す夕方だったり、小雨の降る緑鮮やかな遊歩道の散歩中だったりした。浴室や部屋や遊歩道には雄ねずみがいたりいなかったりした。
 彼女は言語でしか思考ができなかった。すなわち、ほとんど言語でしか理解ができないと言ってよかった。他人の感覚に感覚でわかった気になることはできても、自分の感覚に感覚でわかった気になることはできなかった。当然他のだれよりも彼女は彼女のその感情についてくわしく理解していたけれども、それが全体のうちどのくらいを理解できているのかはわからなかった。より正確には、ほとんど正確な理解はできていないのだろうという感触をずっと抱えていた。ただ、ただ諦めによって、それは「未処理」とラベルのついたひきだしの奥のほうへしまいこまれ、その上にべつの未処理が積まれていた。けれどもあの日、それは雄ねずみの磁力に引かれてひきだしから跳ね出てきた。それ以来それが「未処理」ひきだしの底の方へ沈んでいくことはもちろんなく、雄ねずみにぴったりと貼りついて毎夜彼女の視界へ映りこむようになった。
 彼女は雄ねずみと同様に…否、雄ねずみには遠く及ばなかったけれども、すくなくともたくさんの人々よりは…読書が好きだった。たんなるエンターテイメントとして消費することもあったけれども、主にはその「未処理」を処理するのに、ほかの方法を知らなかったからだった。(彼女は「未処理」に向き合うこと自体も好きだった。)先人たちの紡ぐものに自分のなにかを重ね、彼らのことばの断片をじぶんのなにかを言い表しうる可能性をもったものとして、丁寧にファイリングした。しかし、ファイルがいっぱいになり数冊になりうずたかく積まれては崩れ見失う日が何度来ても、まさしくあれをあれとして表現するものには出会うことのないまま、そしてじぶんでそれを紡ぐことも諦めたまま、彼女は困惑して生き続けていた。よく晴れた夕暮れの迷子と同じ顔をして、十字路の真ん中につったってファイルの山の番をしていることしかできないのだった。その点雄ねずみは、きちんと彼自身をわかり、きちんとした決断を経て、きちんとそこへ座り込んでいるように見えた。彼女はきちんとしたかった。

 そのあと季節は一巡し、2度目の春が来るすこし前にデヴィッド・ボウイが最新作を遺してから死んで、世界とやらがふかくつよい悲しみに覆われた。空には黒い星が燦然とかがやき、雄ねずみもその光に巻き込まれて溺れた。彼女は特にデヴィッド・ボウイに親しんで生きてきたわけではなかったけれど、ただ彼が「ロックスター」であること、世界とやらに対してどんな役割を自ら担いあるいは担わされ、その早すぎる死が世界とやらにもたらす悲しみの深さだけを知っていて、だからきちんと敬意を持って彼の死を思った。
 ある日、雄ねずみがひとつのエッセイを彼女に勧めた。雄ねずみ気に入りの「ロックスター」であるところのR氏が、デヴィッド・ボウイを追悼して書いた記事だった。彼女は泣いた。それを読んで彼女は、彼がいかに音楽を愛し、愛され、そのために生き急がなければならなかったのかをあらたに知ったけれども、彼女が泣いたのはデヴィッド・ボウイを思ってのことではなかった。

 彼女がR氏の音楽に出会ったのは雄ねずみに出会った冬で、それはもちろん雄ねずみの勧めによってもたらされたものだった。彼女はその時、彼に…彼というのは、雄ねずみのことでもR氏のことでもある…彼に出会うのが遅くてほんとうによかったと心底安堵した。遅ればせながらに触れた「彼」の思想はあまりに彼女にとって、親和性が高すぎた。彼女が「彼」に馴染んでしまうことはまったく難しいことではなく、むしろたばこの煙がどうしたって部屋の空気に馴染むのとまったく同じように、つまり「必然」を纏っていた。彼女は宙に消えたくはなかったので、かつてからR氏を知りながら触れずに生きていたじぶんの幸運を思った。記事のなかで彼はたしか、こう言っていた…「たった一夜の奇跡のようなステージのために、バンドを壊す」「こうしてデヴィッド・ボウイでも持ち出さねば、だれにも理解してもらえないのだ」と。

 彼女は泣いた。こんなに美しいことがあるだろうかと思って泣いたし、彼の言うことを彼女はしんじつ理解した。彼女の死に対する渇望を、これほどにきちんとことばにしてくれる人間がこの世に、つまりこの世界の、彼女が生きるおなじ時代にいることに、彼女は泣いたし、この文章が彼女を泣かせることをはっきりわかっていた雄ねずみに泣いた。泣く彼女を見ながら、雄ねずみはなにも言わずにたばこを吸った。彼女は、奇跡のように美しくなりたかったのだった。

 彼女は、彼女の命を軽んじたことなどただの一度もなかった。彼女にとって彼女の命はかんぜんに代替不可能な、言ってしまえば唯一のものらしかった。彼女は、それをもっとも美しく仕立てる方法をずっと探しながらじぶんが生きてきていたのを知っていた。そのための渇望であることも知っていた。なのになぜ今まで思い至らなかったのだろう。わたしにとってわたしの命はあまりに尊く重大で希少で、だからこそ、それを破壊することが、いちばん美しいことだとわたしはきっと幼少のころからわかっていたのだ。なのにただその一点にのみ、辿り着けずに迷子になっていたらしかった。泣きながら体の芯が澄んでいくような気がした。冷たい水を飲んだような感触が内臓を抜けた。雄ねずみはなにも言わずに泣く彼女を見ていた。たばこは今や燃え尽きようとしていた。
 尊いものは美しい。それは、理不尽によってのみ発露すると彼女は確信していた。あるいは、尊さの発露とまったくおなじ瞬間に理不尽も発生すると。いずれにせよどうしても不可分に見えるそれらを、彼女は、雄ねずみは、ずっとじぶんに与えようとしていた。死、われわれが自らひきおこしうる最大の理不尽。そのときのみずからの、奇跡のような美しさ。それをずっと求めていたことは、ああ、わかっていたはずなのに。

 彼女はずっと死にたかった。ずっと。それは、生きたくないということとはまったく関係のない話で、彼女はたのしく、いそがしく、豊かに生きてきた。色彩とりどりの5人に囲まれて思考に耽り、雄ねずみの博識の海を導かれながら泳ぎ、狭くて暗く汚くて居心地のいい自室が欠けることもなく、ここ数年、まったく幸福と言っていい暮らしをしていた。生活の横に死への渇望やあらゆることへの絶望があったって、そんなことはまったく可能なのだった。一切矛盾しないで彼女は幸福に生きてきて、ずっと死にたいと思っていた。息をしながらこの渇望が晴れたときが、<わたし>の死んだときになる、その絶望を思いながら、なんとか回避しようと試みながら、彼女は今日も講義を受け、友人に会い、おいしいものを食べた、なんの矛盾もなく。明日も講義に出て音楽を聞き、すてきな本を読む。これがとてつもなく幸福なことだと、わからない人には、わからないのだろうと思って、あるいはそれの「わかる」雄ねずみを思って、誇らしい気持ちになった。彼らのあるく日なたに、彼女は憧れを抱いたことすらなかった。

「こどもたちの笑い声や祈りのセレナーデの届かないところはないのだろうか」「そんな日陰がないのなら、わたしは影そのものになろうとした」

 彼女は雄ねずみと一緒にその場所を探し、影になろうと語り合った。彼女はとても幸福だった。雄ねずみがそうなのかは、雄ねずみ以外に知る由もなかった。